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Interview #009

自分にしかできないことを探しに足寄へ【前編】

2020.05.01

こんにちは、運営委員の森川です。

第4弾の「渡辺さん」に続く、ものづくり村インタビュー第5弾は、あしおこし隊のメンバー細矢千佳さんです。
山形県出身で、大学進学を機に北海道の十勝へ移住。
大学院時代には、1年間の休学期間に南米を巡るというアクティブさを兼ね備えた細矢さんが、どのようにして足寄町へたどり着いたのか、伺ってみたいと思います。

今回も前編と後編の二部構成で、前編では北海道へ来たきっかけや、南米滞在中のお話、更には南米からの帰国について、綴ってみたいと思います。


チーズが作りたくて、暮らしてみたかった北海道へ

まずはじめに、北海道にいらしたきっかけを教えて下さい。

千佳さん北海道へは、大学進学で来ました。
はじめの動機は、北海道で暮らしてみたいという事と、チーズが作りたいという事だったのですが、大学に入ってすぐに「私はチーズが作りたいんじゃなくて、チーズを食べたいんだ」ということに気がついてしまって。。。

その後、大学三年生で研究室を決める際に、人として魅力的な先生に出会えたことも、進む道を変えるきっかけになりました。

北海道で暮らしてみたいというのは、いつどうして思ったことなのでしょうか?

千佳さん高校2年生の時に、所属していた陸上部の合宿で深川町に来たことがあって、それがきっかけでした。
その時は、「大学で北海道に行こう」という具体的な気持ちではなくて、「いつか北海道で暮らしてみたい」という漠然としたものだったのですが、たまたま大学進学の際にそういう機会に恵まれて、北海道に来ることになったんです。

山形出身なのですが、あまり都会への憧れもなかったし、どうせ行くなら全く知らない遠いところに行ってみたくて、北海道を選びました。

山形から北海道・十勝に来てみて、どう感じましたか?

千佳さん「わぁ、北海道だ」っていう感じがしました。(笑)

杉原さん(取材陣)山形とはそんなに違うんですか?

千佳さん広いなって感じがしました。

畑の景色一つとっても、本州の畑と十勝の畑は規模がぜんぜん違うので、それだけでもすごく広いなって。

実際に暮らしてみて、なにかそれまで思っていたことと変わったことなどはあったのでしょうか?

千佳さん山形は日本海側なので、どんよりした天気も割と多いのですが、十勝は晴れてる日がとても多くて、寒いけどとても気持ちがいいなと思いました。

確かに、冬は本当に寒いけど、気持ちいいくらいの真っ青な空を見られることも多いですよね。
では、大学生活自体も、楽しいものになっていったんでしょうか?

千佳さん入学当初は車の免許も持っていなかったので、行動範囲が自転車で行ける場所だったのですが、免許を取ってからは道内の色んな所にいきました。
それから、カヌー探検部に所属していたのですが、部活でも色んな所に行きました。
部活のつながりから、音更町にある十勝川温泉では、熱気球のお手伝いや、冬のイベント彩凛華での物販といったアルバイトも経験しました。

偶然ですね!実は、私も十勝川温泉で働いていたことがあるんです。
良質な温泉に十勝川などの自然も多い、とてもいい場所ですよね。

進路選択の理由は「短くても2年、長くても4年、一生じゃない」

少し話が脇道にそれましたが、大学ではその後、どんなことを学んでいたのですか?

千佳さん師事した先生が害虫の防除を専門にしていて、そこで私も「じゃがいもに付くアブラムシを菌で防除する研究」をしていました。

杉原さん(取材陣)その先生のどんなところが良かったのでしょう?

千佳さん厳しいけど、この先生のもとにいれば、学べるというか、成長できると思ったんです。

厳しいということを、ネガティブに捉えたり、避けたりはしなかったのですね。

千佳さんそうですね。
「短くても2年、長くても4年、一生じゃないから」と思っていたので、そういうことはなかったです。
周りに、そういう目的意識のはっきりしている人が多かったことが、そう考えさせてくれたのかもしれません。

大学生の時に、そういう意識を持てるのは、素晴らしいことですね。
大学院に進まれたのも、なにか明確に目的などがあったのでしょうか?

千佳さん自分の取り組んでいた研究のテーマが非常に面白いもので、学部の在学期間だけでは時間が足りないなと思ったことと、担当教授から指導されていたことに人としての基本的なことが含まれていて、まだこのままでは社会に出ることができないと思ったことが大きな理由です。
例えば「時間を守りなさい」とか、「約束を守りなさい」とか。。。(笑)

両親からも、自分の気が済むまでやるように言われていて、そういう言葉が背中を押してくれた部分もあります。

かねてからの希望を叶えるために、南米へ放浪の旅に
がしかし、スペイン語のボキャブラリーは、たったの3つ!

あえて厳しい環境に身をおいて、研究にも没頭して、次は就職でしょうか。

千佳さん実は、大学院生の時に、一年間休学して、海外に行っていた期間があるんです。
昔から海外には行きたかったのですが、目的が不明確で、ただ漠然と「行きたい!」という気持ちがあっただけだったので、周りからの「何しに行くの?何のために行くの?」という質問に答えられず、なかなか行くことができなかったんです。

それでも、大学院1年目の時に、「このまま目的がないことを理由に海外に行かない選択を続けていると、一生行くことはないな」と思ったんです。
就職して社会人になったり、家庭を持ったりすることになると、今よりも海外に行くハードルが上がるんじゃないかと思い、「今しかない!」と考え、行動に移しました。
特に結婚を考えていた相手がいたわけでもなかったんですけど、そのときは真剣に考えてたんです。(笑)

確かに、一般的な人生のマイルストーンで考えるなら、次は就職だと思いますし、その次は結婚ということになりますよね。
自分の人生設計を、しっかりと考えられているということではないでしょうか。

杉原さん(取材陣)じゃあ、それで海外に留学したんですか?

千佳さん留学ではなくて、「放浪」したんです。
行き先をどこにしようか悩んでいたと時に、どうせなら今しかできない旅行の仕方でなかなか行けないところに行ってみたいと思い、はじめは世界一周を考えたんですが、期間的にも予算的にも難しいなと思って、南米に行くことにしました。

理由は、ブラジル以外はスペイン語だけでコミュニケーションが取れるし、移動も陸続きだから移動しやすいと考えたからでした。
当時、スペイン語が話せたわけでもないんですけどね。(笑)

それで見ず知らずの国に飛んでいけるところが、本当にすごいですよね。
私なら、思いつかないような決断をされている感じがします。

木村さん(運営委員)(今回、インタビューを受けた)坂口さんにしても、細矢さんにしても、かなり特殊だよね。

言語が一つで、陸続きという理由で、まずは南米のどこに降り立ったんですか?

千佳さんメキシコの下のグアテマラです。
語学学校でスペイン語を勉強するのに、一番安く勉強できる国ということだったので、まずはグアテマラに降り立ちました。

スペイン語も、3つしか知らなくて。。。
オラ(こんにちは)
セルベッサ(ビール)
サルー(乾杯)

それも、大学の教授が教えてくれたんです。
「良いか、この3つを覚えていれば、やっていけるぞ」って。(笑)

では、本当に話せない状態で、グアテマラに降り立ったんですね。
アテンドしてくれる会社に依頼したりしていたんですか?

千佳さんいえ、インターネットの情報だけを頼りに、語学学校のある町に行ってみたのですが、行ってみると英語が全然通じなくて。。。
やっぱり、語学学校に通って、ある程度は話せるようにならないとだめだなって、現地に行ってから再認識しました。
空港には、英語の案内表示もあったのですが、空港を出たら英語の案内もなくって、その時初めて「なめてたな」って思いました。(笑)

じゃあ、そこから語学学校でかなり頑張られたんじゃないですか?

千佳さんグアテマラは、ビジネスとしてホームステイの受け入れが充実していたんです。
私も語学学校と合わせて、ホームステイをしていたのですが、1つ目のホームステイ先ではあまりうまくコミュニケーションを取ることができず、2つ目のホームステイ先に移ってから、少しずつ話せるようになっていきました。

はじめは、正しい文法で話さなくちゃって考えているうちに、話せなくて終わってしまうことも多かったのですが、ある時、必死になって話をしたら、間違った文法でも周りの人が聞いてくれて、それから、とにかく話をすることの重要性に気が付きました。
そうして開き直れるようになってからは、自分も楽になったし、文法などの間違いを気にせず話せるようになりました。
だから、私のスペイン語はメチャクチャなんです。(笑)

グアテマラの先は、ニカラグア→ホンジュラス→エルサルバドル→コスタリカ→コロンビア(に飛んで)→エクアドル→ペルー→ボリビア→チリ→アルゼンチン→パラグアイ→ウルグアイと、ブラジル以外を順々に回っていきました。

かなり色んな国を回られたんですね。
そのあたりは、「陸続きだから」という目論見があたっている感じがしますね。(笑)
実際に、どんな旅だったんですか?

千佳さん着の身着のままでしたね。節約のために、夜行バスで寝たり。。。
もともと身体は丈夫だったのですが、年末に一度だけ体調を崩しました。
そんな時に限って、泊まっていた宿に強盗が入ったり、そういう部分も、刺激的でした。

どこにいても帰る場所を作ってくれている人がいる
だからこそ、ふらふら出来るんです

そんな刺激的な南米生活から、よくまた大学院へ戻れましたね。
たくさんの国を巡って、それだけ順応できると、日本に戻りたくなくなったりはしなかったのですか?

千佳さん確かに、周りからは「戻ってこないんじゃないか」って言われていたこともあるんですが、大学で使用している実験器具を私しか使うことができなくって、その使い方を後輩に継承する役割があったんです。
それをするために、予定どおり、大学院に戻って1年間通学し、無事に卒業ました。

杉原さん(取材陣)海外から戻ってきて、日本での生活に物足りなさを感じたりはしなかったのですか?

千佳さん1年間、やりたい放題やってきたので、そういう感じはありませんでした。
完全燃焼したのか、しばらくは日本での生活で良いかなって思ったのと、一生ふらふらはできないなって思っていたので、そういう意味でも日本の生活には、違和感なく戻ることができました。

杉原さん(取材陣)ぶれない感じですよね。
海外に行ってきて、日本を頭ごなしに「つまらない」と決めつけたりすることもなく、「海外は海外、日本は日本。自分はやることがあって日本に帰ってきた」って、淡々と割り切れるところは、素晴らしいと思います。

海外でいろんな刺激をもらってきても、元いた場所にすっと戻れるのは、特殊なんじゃないかなと思いました。

千佳さんどこにいても、帰る場所をみんなが作ってくれていて、
例えば実家とか、大学とか、
何かあればそこに帰ればいいという拠点になる場所があるからこそ、ふらふらできるんです。

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