こんにちは。はたらくものづくり村の広報を担当している坂口です。
新型コロナウイルス感染症が5類へ移行した今年は、常連の方をはじめ、はじめて「はたらくものづくり村」を訪れる方、本州からのご利用など、新たな広がりを見せた1年だったように感じます。町内でも、今まで自粛していた催しが多数開催され、人々の動きがより活発になりました。
また、今夏は厳しい猛暑が続き、9月に入っても残暑。紅葉の見頃は後ろ倒しになり、鮮やかに色付いたイタヤカエデ、エゾヤマザクラ、ヤマモミジなども11月中旬には裸木へ。季節が巡り、いよいよ本格的な冬が訪れています。
今回、ものづくり村に集う人々としてご紹介するのは、紙絵作家の西出さん。日本伝統和紙をはさみで切り貼りしながらPOPやラベルを作製し、温かみある作品を手掛けています。2020年から2023年まで、単身者向けシェアハウス「ながや」と地元の札幌市を行き来しながら、レンタルスペース「かってば」で、イベントを企画するなど、精力的に活動してくれました。
前編は、はたらくものづくり村ではどんな滞在を実現されたのか、お聞きしたいと思います。
(2023.11 掲載)
足寄町を知ったきっかけを教えてください
1番最初は、2020年の夏に帯広市の「ホテルヌプカ」と「北の屋台」の両方で働いていた時、町内でゲストハウスを運営する「ぎまんち」の儀間芙沙子さんと「ありがとう牧場」を経営する吉川千恵さんと、当時地域おこし協力隊とだった方の計4人が「北の屋台」にやってきて、すごく楽しそうに喋ってたんですよね。いろんな人がお客様としてやってくるので、出身地や携わっている仕事とかで、なんとなくそれぞれ空気感が違うんですよ。でも、その4人に会った時に「何だこのエネルギーは!」と思って。すごく楽しそうだったんです。ただ飲んで楽しいだけじゃなくて、人としてすごい魅力的に感じて。その次の日、ホテルのチェックアウト担当だったので、朝フロントにいたら「昨晩の4人がいる!」と思って!(笑) 住所を見たらみんな足寄の人だったので、「足寄って面白そうだな」と思ったのが、最初のきっかけでした。
その「なんだか惹かれる」足寄町の人たちとの出会いから、はたらくものづくり村の滞在には、どのようにつながったのでしょうか
「ホテルヌプカ」の総支配人が、はたらくものづくり村で開催していた金継ぎの講座に「みんなで行かない?」と声を掛けてくれていたので、存在を知っていました。私も「ものづくり」をやっているので、このまま足寄にある「はたらくものづくり村」に一度も見学へ行かず札幌へ帰るのも、もったいないんじゃないかなって思い、移住支援センター「びびっどコラボレーション」のサイトから儀間芙沙子さんに連絡しました。そしたら、芙沙子さんがいろいろと足寄を案内してくれた時に「Café de Camino」の建物撮影と重なり、そこでオーナーの木村さんとお会いして、何だかよく分からない内にモデルとして撮影に参加していました(笑) その後に改めて見学して、木村さんから「ものづくり村でこんなことが出来るよ」とか、そういう話を聞いて。その時、他の道があまり見えてなくて「今どうしたらいいんだろう」って迷っていた時期だったので、こんなにおいでって言ってくれる所があるなら「1ヶ月でもいいから行ってみようかな」って思ったのが最初です。
滞在はいかがでしたか
最初の1週間ぐらいは、ずっと家の中で寝ていました。何かしなきゃって思うけど、何もできなくて。仕事するにも1ヶ月って決めてるので、出来ないとかいろいろ悩んでいたこともあって。そしたら、芙沙子さんが1週間経ったくらいで、ゲストハウスに「遊びにおいで」って声を掛けてくれて、近々あるイベントの中で「ここに来れる?」とか誘ってくれて、そこから徐々に町の人がいる輪に入ったり、いろんなイベントに参加したり、ちょっとずつ動くようになりました。2〜3週目からは、あっという間でした。
最初の滞在の最後に企画したハロウィンイベントは、子どもたちがいっぱい参加してくれて、自分の得意なことを教えることができて、すごく楽しかったです。
そこから冬は一旦札幌に戻って、起業して自費出版の絵本を作ったり、仕事を探したりしました。その間も、翌年3月に開催の中学3年生へフレンチ料理を振る舞う企画に「もえみちゃん来ない?人が足りないんだよね」と言われて行くことになったり、ひな祭りの貼り絵を作って欲しいとお願いしてくれてそれを納品に行くっていう約束もしていたり、お菓子のパッケージデザインを依頼してくれたり、以降足寄に行くっていう用事が3個ぐらいあって。これだったら必然的に、もう1回足寄に住むのも良いんじゃないかなと思って、自然に2回目がやってきました。その後も、何カ月か足寄で過ごし、何カ月か札幌にいるという形が2、3回続きました。
滞在中はどのように過ごしていましたか
以前からやっていたリモート仕事やものづくりの仕事、また滞在が数ヶ月に渡る時は知人に紹介してもらって、週に何回か道の駅の売店で接客をしたり、POPを作成をしたりという仕事もやっていました。あとは、「かってば」を活用して、ものづくりも体験できるイベントやレンタルスペースの運営も行いました。
はたらくものづくり村があったのは結構大きいと思っていて。はじめは、工作教室やものづくりをもうちょっと仕事としてやっていきたいと思っていたので、ここがあったことで、より挑戦する場をもらえたり、ものづくりに専念することができたりしたのかなと思ってます。2020年から1年の間で、目を付けてくれる人たちが増えたなって思ってます。自分から「こういうの作ってるんですよ」とか言わなくても、見つけてきてくれたり、実は見ててくれて、気に入ってくれてたりっていう数が増えてきた気がします。
実際に「カフェ」と日本伝統和紙を使った「ものづくり」を融合して体験できる「ものづくりカフェTUKURU」やイベントなどは、どんな想いで活動していましたか
本州のカフェで何軒か働いた時に、そこでカフェの良さを知りました。コーヒー1杯で近所のおじいちゃん達とお話したり、それを日々の楽しみにしてくれていたりするのってすごくいい時間だなという思いがあったので、それをカフェでやりつつ、自分の作品とかを置いたり、工作教室とかも一緒にセットにすることで、自分にできて誰かが喜んでくれることを、盛りだくさんにしたら私も楽しいし、向こうも楽しんでくれるんじゃないかなっていう想いでやっていました。
<後編に続く>