ワークショップや作品を通して、

アートの敷居を低くしたい【後編】

渡辺彩さん

今回は、渡辺彩さんのインタビュー後編となります。

前編では、幼少期から学生時代にかけてどのように過ごしてきたのかということや、アーティストとして活動することになったきっかけなどについてお話をしていただきました。

その後、アーティストとしての活動をしていく中で、ワークショップという新たなジャンルに挑戦することになった渡辺さん。
その、きっかけやこだわり、そして、生まれ育った江別を離れ、足寄町に移住するまでを伺いました。

アーティストとしての苦悩や葛藤、さらには覚悟なども語っていただいています。
渡辺さんの「今」と「これから」について、ものづくり村のことも交えながら、綴ります。



写真提供:大坪俊裕さん

絵の具を作ることに興味を持ち、ワークショップを始めることで広がった世界

少し話は変わりますが、ワークショップを開いたりされていらっしゃると伺ったのですが、どんなきっかけで始められたんですか?

さん北海道の標茶町で手作りのクレヨンを作っているTuna-Kai(トナカイ)さんという会社があるのですが、そこで短期間、働かせていただくことになったことが始まりなんです。
Tuna-Kai(トナカイ)さんを知ることになったきっかけは、当時、私が働いていた農家さんから、「『農×アート』なら、クレヨン作ってみたら?」というヒントを貰って、その後、知り合ったアーティスト仲間にTuna-Kai(トナカイ)さんのことを聞いたことで、それぞれがリンクして興味を持ったことでした。
たまたまその時、Tuna-Kai(トナカイ)さんがWWOOFに登録をして、仕事をしてくれる人を募集していて、タイミング的にもご縁があったのかなって。

実際に受け入れていただいたあとは、いろんなことを手伝いながら学ばせていただきましたし、オリジナルクレヨンの試作なんかもさせていただきました。
周辺に自生している植物から顔料を採取する仕事なんかもあって、植物から取れた色の個性をとても大事にするというスタンスが、私の思う「多種多様性」に繋がっていったんじゃないかなと思います。
はじめは「クレヨン」だったのですが、次第に「絵の具」にも興味を持ち、自分のオリジナルのものを作りたいっていう気持ちが湧いてきたんです。

一気にオリジナルを作りたくなるところが、渡辺さんらしいですね。(笑)
それは、すでに、なにか考えがあったのですか?

さんありませんでした。(笑)
Tuna-Kai(トナカイ)さんがオリジナルのクレヨンを作るまでに、10年の歳月がかかったそうで、そう簡単にそれが私にできるわけもなく。。。
でも、私にはそんなに時間がないと考えていた時に、「自分で作り方がわからないなら、お客さんに作ってもらえば良いんだ!」と閃いて始めたのが、絵の具のワークショップだったんです。

お客さんに作ってもらうという発想が、まさに渡辺さんらしい感じがしますね。
私では、到底たどり着くことのできない発想だと思います。

さんとにかく、作りたいという熱意だけは持っていて、そこからたどり着きました。
悩んだりすることも多いのですが、行動はとても早い方だと思います。
むしろ、悩んでいるから、行動したら早いということなのかもしれませんね。

ご自身のワークショップで、なにかこだわっているポイントはありますか。

さん筆ではなく、割り箸を使うというのは、こだわっているポイントかもしれません。
筆だと、「上手に描こう」と意識してしまうので、その意識をなくしたくて、あえて上手に描くことのできない割り箸を使っているんです。
写実的な表現で上手に描けることを、絵がうまいと考えがちですが、絵がうまくなくても、描くことで自分を表現することはできると思うんです。

きれいに描くことだけがアートなんじゃなくて、「アートはもっと身近なものだ」と私は思っていて、想像したものを形にしたときの「楽しさ」を私は知っているので、ワークショップを通して、一人でも多くの人にそれを感じてもらえたらなって思っています。
はじめは、レシピが知りたいという少し不純な動機で始めたワークショップでしたが、今はそういう思いを持ってやっているんです。
人との付き合いが苦手だった私でも、アートを通してたくさんの人と繋がり、自分に自信を持つことができたので、それを参加する人にも感じてほしいんです。

ワークショップを始めるにあたって色々考えている中で、自分がやりたいのは「多種多様な人が集まれる場所を作る」ということだと気が付きました。
「年齢も性別も、障害の有無も意見の違いも関係なく交流できる場所」そう考えた時に、このワークショップはマッチするなと思ったんです。

やってみてわかることも、たくさんありますからね。

さんそうなんです。参加者も、はじめは子供に設定していたんですが、次第に大人もやりたいと言ってくれるようになって。
そういう意味でも、このワークショップは初めて良かったなって思いました。

満を持して家を出て、行き着いた先は足寄町
そこは、私を更に成長させてくれる場所

次は、足寄に来ることになったきっかけについて、伺いたいのですが、ワークショップを始めるようになったことが、足寄に来ることとつながるのでしょうか?

さんそうですね、私のワークショップは、場所を問わないので、どこにでも持っていけると思ったんです。
それから、足寄で「GuestHouse ぎまんち」を営んでいる儀間さんの存在も、大きく関係しています。

実際に、ワークショップをどこかに持っていってやってみたいと思っている時に、たまたま以前から知り合いだった儀間さんとお話する機会があって、それで初めての出張ワークショップを足寄でやらせてもらったんです。
はじめは、価格設定などで少し想定外のこともありましたが、実際に体験してくれると、皆さん概ね好意的な反応で、それが背中を押してくれたのかもしれませんね。

それにしても、よく家を出ようと思いましたね。
それまでは、生まれてからずっと、江別にいらっしゃったんですよね?

さんそうですね、ずっと江別にいました。
今、実家を出ないと、自分が腐ってしまうと思ったんです。(笑)
ずっと実家にいる人なら、わかってもらえるかもしれませんが。。。

それと、江別よりも田舎で暮らしたいなという漠然とした希望を持っていて、それにマッチしていたのが十勝だったんです。
高いビルなどの遮るものがなく、割と色んな所にもいきやすいというのも、私にとっての魅力の一つでした。

そんな矢先に、またしても儀間さんから、ここ「はたらくものづくり村」についての情報をいただいたんです。

それはまた偶然ですね。
しかも、またしてもきっかけは儀間さんだったんですか。
儀間さんって、そういう人に影響を与える何かを持っているのかもしれませんね。
「はたらくものづくり村」のことは、儀間さんから聞いて、初めて知ったんですか?

さん実は、儀間さんのFacebookで告知されていたので、すでに知っていました。
でも、名前からして、しっかりとした手に職を持っている人が入るべきところだと思っていて、自分は対象外だと考えていたんです。建物も、ものすごくしっかりとしていたし。。。

確かに、そんなイメージはあるかもしれませんね。
しっかりと下積みを積んで、これから起業したりする人を対象としているようなイメージですよね。

さんだから、はじめは「十勝に行こう」であって、「足寄に行こう」ではなかったんです。
でも、たまたま十勝の実情を見てみたくて急遽出かけた時に、車中泊をしていたのですが、寒かったりなんだりで少し心が折れそうになって。。。
そんな時に、儀間さんが話していた足寄の「はたらくものづくり村」のことを思い出して、儀間さんの奥さんに連絡してみたんです。

そしたら、実際に中を見られることになって、木村さんにも話を聞けることになったんです。

実際に見てみて、どんな印象でしたか?

さん「かってば」にしても、「ながや」にしても、入った瞬間に落ち着くなって思ったのが第一印象でした。
私は、アトピーもあって、匂いにも敏感なので、新築の家って得意ではないと思っていたんですが、それが平気だったんです。

木村さんのこだわりや思いに、共感したんですね。

さんそうですね。
その後に、木村さんとお話している時に、私の話を聞いて「そういう人に来てほしかった」と言ってもらえて、思わず「ここに住んでいいですか?住みたいです!」と言っちゃったんです。(笑)

私が「アートの敷居を低くしたい」という話をしたら、木村さんも「建築の敷居を低くしたい」と言ってくれて、ものすごく嬉しかったのを覚えています。
それに、私が以前、漠然と考えていた「村を作りたい」という構想が、ここにはすでに実現されていて。。。

じゃあ、もうその時に、ここに引っ越してくることを決めたんですね。

さん木村さんの理想を伺った時に、私の理想と重なることがたくさんあって、そういう人が作った場所でなら、きっと私の成長も早いはずだと考えたんです。

実際に住んでみていかがですか?

さん本当に、人が温かいですね。
私の場合は、移住する前から儀間さん夫妻や木村さんなど、信頼の置ける人がいたことも、重要な要素だったと思っています。
その人達を通じて、事前に色んな人を紹介してもらえて、私は本当に運がいいなって思っていました。(笑)

それから、実際に暮らし始めてからも、すぐ隣に「かってば」があるので、そこに出入りされている方々ともつながることができたのは、私がここに馴染むのにとても重要なポイントになりました。
終いにはそうした人のつながりで仕事にまでありつくことができて、全てが怖いくらいトントン拍子に進んでいきました。(笑)
おかげで、今に至るまでホームシックになることもなく、とても充実した日々を送っています。

険しい道だけど、アーティストとして活動しながら、同時にアートの敷居を低くしていきたい

そんな渡辺さんは、今後、ここ足寄でどうしていきたいと思っているんでしょうか。

さんこれからも、アーティストとして、力を抜いて自分を表現していきたいと思っています。
木村さんと話をしていた時に、「アーティストになりたいのか、デザイナーになりたいのか」という話題になったことがあって、「アーティストは誰に頼まれることもなく、ゼロからイチを作る」、「デザイナーは、人から頼まれてから初めてそれに取り掛かる」というふうに考えると、私がなりたいのはアーティストだったんです。
アーティストの方が道は険しいかもしれないけれど、私はそれにチャレンジし続けたいと、その時改めて思いました。

それに、足寄にはそんな私を受け入れて、暖かく見守ってくれる人がたくさんいるんです。
自分一人で抱え込んで悶々としていたら、「もっと楽しくやりましょう」って声をかけてもらえたりして、そういう人の暖かさに触れることができるのも、足寄の魅力だと思っていますし、そういう場所だからこそ、アーティストとしてやっていこうと思えたのかもしれません。

最後に、そんな足寄・はたらくものづくり村が、これからどうなっていってほしいと思いますか?

さん地方都市だから「人を呼ぶ」とか「まちづくりをする」ではなくて、そこにいる人達が「面白いからやる」とか「気づいたらやっていた」という、今の足寄・はたらくものづくり村にあるサイクルが、これからも続いていくといいなって思っています。

自分たちが「楽しい」ということが、いちばん大切だと思うんですよね。
それを続けていれば、自然とそれを見た人がまたそこに入りたいって思ってくれると思うから。

そうなっていくといいですね。
今日は、ありがとうございました。

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